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エリア特集2016-05-06

文京区の「はじっこ」ってどこ? 境界協会と文京区の区境を探検してみた(後編)

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 日常生活で「区境」を意識することは少ないのではないだろうか。だが、当文京経済新聞編集部はその名の通り、「どこまでが文京区か」ということを常日頃意識しながら活動している。今回はそうした境界線を探して「観察会」を開いている団体があると聞きつけ、文京区の区境を明かすべく「区境踏破ツアー」を敢行した。

 昨年6月に引き続き、約1年ぶりとなった今回のツアー(前回のツアーの様子は、こちらの記事を参照)。前回同様、地図上の区境・県境・旧国境などを追う地図歩きを主催する「境界協会」の主宰・小林せいのうさんの案内の下、前回歩き残していた文京区の南半分となる「江戸川橋~千駄木」間の区境を歩いた。

 桜の開花が始まった3月下旬。午前10時に東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅に集合し、区境歩きを再開する。

 「江戸川橋周辺は、現在の神田川(旧江戸川)の旧流路の名残が区境に見て取れる」と小林さん。境界を歩く上で古地図と地形図は必携。小林さんが広げた江戸時代の古地図を見ると、旧江戸川へと多くの水路がめぐらされているのがよく分かる。話をしているとあっという間に、地蔵通り商店街振興組合の入り口に到着。「ここから再開ですね」と互いに確認し合い、境界歩きの後編が始まった。

▲今回歩いた文京区境

□境界ポイント1 神田川(旧江戸川)から引いた水路の名残と境界

 文京区関口にある地蔵通り商店街振興組合の入り口には、「子育て地蔵尊(火伏せ地蔵)」が祭られている。解説板には、「この地蔵尊は、明治の初めにいずこから流れてきて、ここに留(とど)まったものと言い伝えられている」と書いてある。神田川はしばしば氾濫した河川で、商店街関係者に話を聞いても、「つい最近まで大雨が降ると、床下浸水することがよくあった。だから大雨や台風という気が気じゃなかった」という話が聞こえてくる。

▲地蔵通り商店街の入り口にある火伏せ地蔵

 境界線はどこに引かれているのだろうかと古地図上で確認すると、「やはり、大体水路に沿って引かれている」と小林さん。現在の商店街のある一帯は「小日向村」となっており、その村を取り囲むように水路も引かれていたようだ。


▲江戸後期・万延元年1860年の地図。商店街の辺りは小日向村であったことが分かる(出典=「今昔散歩重ね地図」ジャピール)

 現在、区境となっている細い路地をよくよく観察してみると、側溝のふたは文京区、その隣に新宿区の境界標という一風変わった「境界スポット」も見つけることができた。


▲文京区の側溝ぶたと新宿区の境界標。この側溝が昔の水路の名残だったらと想像をかき立てられる

▲境界上に立つ「境界電柱」も。住所表記は新宿区改代町だが、その下の歩行喫煙・ポイ捨て禁止の看板は文京区のもの

□境界ポイント2 神田川とともに歩む境界線

 地蔵通り商店街振興組合を囲うように引かれた境界線をたどり終えると、いよいよ境界線は神田川に侵入する。神田川に架かる石切橋の少し手前(上流側)から御茶ノ水まで、文京区の区境は新宿区、千代田区と相手を変えながら川沿いを進む。

▲石切橋から神田川を眺める

 石切橋の由来については、新宿区が設置した案内看板に「かつてこの橋の周辺に石工が住んでいたことからその名が付いたともいわれますが定かではありません」とある。架橋は江戸初期の寛文年間(16611673)とされ、明治時代中期の記録によると当時この付近で最も幅が広く大きい木橋で、江戸川大橋と呼ばれていたという。

 普段から歩いている橋の歴史に関心を持つのもつかの間、小林さんが「この辺りには昔、小日向馬場というのがあったらしい。土地もそのまま馬場の形が残っているはずなんですが…」と古地図と現在の地図を照らし合わせる。どうやら西江戸川橋交差点の南側に、南北に細長い長方形をした馬場の形が今もそのままに残っている。今は建物が立ち並び、歩いているだけではなかなか気付くことができないが、地図のような俯瞰(ふかん)図を見ることで「土地の形の不思議」に気付くことができる。

▲地図の今昔で比べる「小日向馬場」。現在の地図を見ると、西五軒町と東五軒町の間に形がそのまま残っている(左図出典:「今昔散歩重ね地図」ジャピール、右図:文京経済新聞作成

□境界ポイント3 飯田橋交差点のトリプルジャンクション

▲飯田橋の五差路交差点に架かる巨大な歩道橋

 飯田橋の五差路交差点は、文京区・新宿区・千代田区のトリプルジャンクション(3区境界地点)となっている。厳密に見てみると、実は歩道橋の上はほとんどが新宿区で、一部の通路と階段に文京・千代田区内に入っているようだ。

▲左側の橋の中央辺りが文京区、新宿区、千代田区のトリプルジャンクション(3区境界地点)

 「絶対に寄らなければいけない場所の一つ」と小林さんに案内されて向かったのは、飯田橋駅に隣接する商業施設「ラムラ」内の「区境ホール」。文京区の境界から少し離れるが、その名の通りホール内を新宿区と千代田区の境界線が走っているという珍しい場所だ。ちょうど区境となる場所に境界プレートも埋め込まれている。たまにミニライブなども開かれているが、境界線上でライブができるホールはここくらいではないだろうか。

▲(左)ラムラ内の区境ホール(右)床に埋め込まれた境界プレート

▲区境ホールへの入り口にある駐輪場。右側は新宿区の管轄。左側は千代田区の管轄になっている。どちらも事前登録制だが駐輪時は注意が必要

□境界ポイント4 飯田橋から御茶ノ水にかけて

 飯田橋から御茶ノ水にかけては、区境となる境界線は川沿いを単調に進み、あまり興味深いスポットは期待できない。そんな事前リサーチの成果を裏切るように、この区間には複層的な歴史が隠されていた。

 「また、ちょっと境界からは外れるけど…」と小林さんが案内してくれたのは、飯田橋の「アイガーデンエア」の敷地内に残された、かつての甲武鉄道の線路跡。実は飯田橋から水道橋にかけては、古くから交通の要所として重要な場所だったという。

▲飯田橋にあるアイガーデンエアには、かつての甲武鉄道の線路跡が残されている

 水戸徳川家の江戸上屋敷(現、小石川後楽園)があった江戸時代には、屋敷と小石川御門の間に「市兵衛河岸」があり水運で荷物を運搬していた。明治期に入ると、日本橋川が神田川まで掘り抜かれ、現在の飯田橋に甲武鉄道「飯田町」駅が開業したほか、水戸徳川家の江戸上屋敷跡には陸軍施設「東京砲兵工廠(こうしょう)」が建設された。地図上から読み解くと、同じ明治期に「市兵衛河岸」も東京ドームホテルの前あたりに場所を移している。

 神田川そのものも、歴史を振り返れば、神田上水に目を向けるいい機会にもなる。神田上水は「関口大洗堰」(現在の江戸川公園近く)でかさ上げされ、取水された水は上水として使われ、残りは旧江戸川に流したとされる。上水は現在の巻石通り沿いを通り、現・小石川後楽園(水戸徳川家の江戸上屋敷)、御茶ノ水の懸樋(かけひ)で神田川を越えて、江戸の町へと水を届けた。起伏のある土地でどのようにして江戸の町まで上水を引いたのか。思いをはせるだけも壮大なロマンだ。境界付近にある「水道歴史館」に立ち寄れば、江戸時代の上水に使われた木製の水路や御茶ノ水の懸樋などの模型を見ながら、神田上水がどのように引かれていたのかを学ぶことができる。

▲JR「水道橋」駅からJR「御茶ノ水」駅方面へ歩くと、神田上水懸樋跡に石碑が設置されている

□境界ポイント5 ビル街を抜ける境界

 文京区と千代田区の区境は、聖橋の少し下流でようやく神田川から離れる。湯島聖堂の東側の脇道から久しぶりに街なかへ足を踏み入れたところで、この日初めて「絵になる境界スポット(境界標識地)」と出合うことができた。左側が「文京区湯島一丁目」、右側が「千代田区外神田二丁目」。写真に見える青い戸が「境界上への入り口」といったところだろうか。思わず小林さんも「ようやくですね」とほほ笑む。

▲この日初めての「境界スポット」

 その後、境界線は神田明神を千代田区側が抱き込むように引かれる(これは後述する文京区と台東区の境界にも同様な現象が見られる)。神田明神の周辺では、現在まさに建設工事を進めている「境界物件(境界線上に建つ建物)」に偶然にも遭遇することができた。工事掲示板の所在地欄に、文京区と千代田区の両方の住所が並ぶ何とも奇妙な光景だ。

▲文京区と千代田区の住所が併記された工事掲示板

 神田明神参拝客をはた目に境界線をたどっていくと、甘酒で知られる老舗・天野屋の西側の脇道が区境になっていた。この脇道実は旧中山道であるらしく、至るところに「旧中山道」の札が掛かっている。ここからずっと旧中山道が境界になるのかと思いきや、この100メートルほどの脇道だけのこと。

▲旧中山道を走る境界線(点線はイメージ)

□境界ポイント6 車両ナンバーの境界地

 今回の行程で2つ目のトリプルジャンクションが文京区、台東区、千代田区の境界地点。場所は、文京区湯島の三組坂下交差点を北上した一つ目の十字路にある。小林さんは「ここは東京区部三大車両ナンバーのトリプルジャンクションにもなっている。ここを境界に文京区側では練馬ナンバー、千代田区側では品川ナンバー、台東区側では足立ナンバー。区境と車両ナンバーの境界地が一緒になるこの場所は、かなりのレアスポット」と話す。しかし境界を示す境界標が集まっているわけでもなく、トリプルジャンクションにしては地味な印象の場所。それには小林さんも「だけど地味なんですよね。ここの境界は」と苦笑いする。

▲文京区、台東区、千代田区のトリプルジャンクション練馬、品川、足立の東京区部三大車両ナンバーのトリプルジャンクションにも

□境界ポイント7 境界商店街と電柱の貼り紙

 境界線を追ううちに、商店街、神田川、神田明神と街並みが変化してきた。穏やかな景色が続いてきた境界線付近だが、いよいよ文京区湯島と台東区の区境に入ってくると、街がにぎやかさを増してくる。

▲文京区湯島と台東区上野の遠近感のある境界標識地 

 普段街を歩いているときに境界線を意識することはほとんどない。けれど湯島の街中には、生活の中で境界を意識するシーンを教えてくれる貼り紙がある。「ゴミ捨てに関する張り紙が面白いんです。この電柱のゴミ捨て場は文京区って主張している。前はもっとちゃんと読めたんだけどね」と小林さん。そう言って指さしたのは、文京区の誰かが設置した「ここは文京区のゴミ捨て場。台東区の方は捨てられません」という張り紙。小林さんは「前回、大塚を歩いたときに、郵便局員が区境に忠実に手紙を配達するというシーンを見たけれど、これはゴミ捨てバージョンかな」と笑う。気付いていないだけで、日常生活で区境を意識している人は意外と多いのかもしれない。

▲境界の「ゴミ捨て」貼り紙

▲道の両脇に店がたくさん並ぶ商店街だが、よく目を凝らしてみると左側が「湯島白梅商店会」、右側が「池之端商店街」と看板プレートが出ている。通りの左右で所属する商店街が異なる面白い通り

□境界ポイント8 境界めぐりの聖地「境稲荷」

 湯島の街中を抜けると、区境は都立旧岩崎庭園の敷地内へ。境界線は同園内の国立近現代建築資料館を横断していく。すると小林さんが急に「これから境界の神様に会いに行こう」と歩を早める。その先に現れたのは何と「境稲荷神社」。

▲(左)境稲荷神社と(右)神社横にある「境界井戸」

 「うちの協会で建てたわけじゃないですよ(笑)」と小林さん。実はこの神社はその名の通り、境界線上に面して建っている「境稲荷神社」なのである。その由来も、「文明年間足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられ忍が岡と向が岡の境に鎮座するところから境稲荷と称され両村の総鎮守であった」とある(境内内掲示板)。「境界好きに愛されてやまないんです」と話す小林さんの口元も思わず緩む。これから境界を歩いてみようという人には、一度はお参りをしてほしい神社である。

□境界ポイント9 寺院と境界線

 境稲荷から先は、おおよそ東京大学の敷地に沿って境界線がはしる。しかし地図上で見ると、台東区が文京区に食い込んでいるのが見て取れる。もう少し地図をよくみると、文京区側は岩崎庭園の隣の講安寺、稱仰院を最後に寺院が姿を消す。それより北では、宗賢寺、覚性寺、東淵寺…と区境周辺の寺院は、ずっと台東区側に属するようになる。そのため、寺院を台東区が囲うように境界線が引かれている。この図式は、神田明神が千代田区側に引き入れられている関係とどこか似ている。東京大学の敷地は文京区になったが、そのほかは東叡山寛永寺の影響で台東区にという意図が境界線から推測できる。

▲江戸時代の地図。地図内の赤線は現在の区境。神社や寺院(赤塗の土地)はほとんど台東区側へ入っていることが分かる(出典:「今昔散歩重ね地図」ジャピール

□境界ポイント10 藍染川の流れをたどって

 いよいよ文京区と台東区の区境は谷根千地域へと向かう。この一帯は、現在は暗渠(あんきょ)となった藍染川に沿って区境が設定されている。川の流れを残した、うねうねとした細い道が北へ向かって延びていく。暗渠は区境の醍醐味(だいごみ)として欠かせない要素。暗渠沿いの景色に、河川の面影を探すことは何より味わい深い。

▲(左)藍染川の暗渠に沿って進む区境(右)境界上に文京区の下水蓋

 暗渠沿いに銭湯が多いことは前回の境界歩きでも触れた通りで、藍染川沿いにも現在は姿を消してしまった根津の「宮の湯」、今も営業している池之端の「六龍鉱泉」、千駄木の「朝日湯」などがある。

 「銭湯もそうだけど、この暗渠沿いは米屋とかクリーニング屋も多い。多分、米屋は精米で水車を使ったから。クリーニング屋は排水の関係で、とかなのかな」と小林さん。一つの暗渠から自由に想像を巡らせながら歩くことができるのも、境界歩きの醍醐味。そんな光景が広がっていたのを思い浮かべるだけでも、街の歴史に触れられるようでわくわくする。

□境界ポイント11 よみせ通りの起こりと境界歩きの終点

▲よみせ通り商店街のアーケード

 藍染川の暗渠を進むと、よみせ通り商店街にたどり着く。ここまで来れば、ゴールも目前。

 この商店街は「境界商店街」で、左右で住所は異なるが(西側は文京区、東側は台東区)、商店街としては文京区の商店街連合会に加盟している。商店街の途中には、古ぼけた謎の木柱が建っている。実はこの木柱は小林さんいわく、「昔、夜店を開いていいよという許可を出したときの柱だと思う」という貴重な歴史遺産。境界を探して歩くからこそ、さまざまな過去の遺構に気付くことができる。

▲商店街内に残されている木柱

終わりに

 約1年かけた文京区の境界1周の旅は、ゴール地点の荒川区、台東区、文京区のトリプルジャンクションで記念写真を撮影し終わりを告げた。

 文京区の区境を歩いて感じたのは、何より思ったよりも長かったということ。企画当初は「1日で行けますかね」と小林さんと話していたものの、終わってみれば丸2日間を掛けた。文京区は思っているよりも大きく、区全体をくまなく歩くには相当の労力が掛かるのだ。

 ただ区境という境界線上を歩くことで、街の成り立ちをつかむことができたのも収穫。5つの台地から成る地形や今はなき大小の河川も、何万年もの時間の中でつくられてきた地形だ。そんな起伏の大きい文京区の地形に基づき、出来上がってきた街。区境という視点から、街の成り立ちや土地の歴史に触れることができる。「昔、川辺だったのに大きな建物を建てて大丈夫だろうか」というような場所も見えてくる辺りは、今後の街の防災を考えるときにも役立ってくるだろう。

 街を切り取る視点は、至るところに存在している。一人の文人の生涯や一つの場所・建物にスポットを当てて街を見れば、また違った世界が広がっている。小林さんは「境界に限らず、自分が面白いと思ったことを突き詰めていけば新しい世界が広がっている。そういうところに本当の学びがあるのでは」と話す。いささかマニアックな境界という世界から見えてきたものは、想像以上に大きなものとなった。

ゴール地点の荒川区、台東区、文京区のトリプルジャンクションで。境界協会主宰の小林せいのうさん(左)と弊紙記者(右)

(文責=文京経済新聞・西丸尭宏)

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